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ツイートの続き

Instagramに不具合が起き、少々不便を被っている。

 

新しい活動も始め、なにかとバタバタと動いている。

からだも、こころも。

こころが動くと言葉が脳に充満する。一介の表現者として、それらを言語化し記録しておくべきだと思った。

 

お布施の機能は停止しているものの、まだここには酸素がある。不思議なこった。他につらつらと書ける場所もないので、久しぶりに更新する。

 

-SNS社会。

絶賛不具合中のInstagram、青い鳥が飛び去ったX、自己顕示欲の魔窟TikTok、いまいち流行らないThreads、旧Twitterを彷彿とさせるBluesky、私の知らないなにかしら、その他掲示板や、もはや息をしていないアプリケーション。

「バカッター」というネットスラングがある。「馬鹿」と「Twitter」のフュージョン言葉だ。承認欲求を満たすために犯罪行為などをSNSへ晒け出す人間のこと。

バカッターには社会的制裁が下る。行き過ぎた特定や嫌がらせ、歪んだ正義感による制裁には賛同できないが、法的に罰せられることは至極真っ当だ。

 

けれど、私は思う。

語弊があるかもしれないが、バカッターのように分かりやすいものにはまだ可愛げがある。本当にタチが悪いのは、認識されていることを知った上で愚痴を書き込む人間や、現実で関わりがあるのに気に入らないことを垂れ流す人間だ。こいつらには、社会的制裁が下らない。いつか周りからひとが消えるかもしれないが、果たして本人は自覚するだろうか。

 

表に出る人間は、SNSも含めてパフォーマンスでなければならない。その時の感情に任せて思考を垂れ流し、自らの株を下げるやつは馬鹿者だ。常にどう見られるかを意識しなければならない。かく言う私も、よく下手をこくが。

 

“おで、だいじょぶそ?ってなってる時に環境が変わるきっかけがあったり助けてくれるひとが手を差し伸べてくれたり、なんとか生き続けられるようにできてるんだあ。ありがとう”

 

先ほどXに投稿したこの文の続きを、ここに記す。

 

“しかし、先へ進み続けるには、それすらも振り払わなければいけないときがある。「恩知らずだ」と言われても、「最低だ」「クズだ」と罵られても。孤独であることを嘆くこともせず、唇を噛んで進むのだ。ごめんなさい。”